心理師とは何をする人か その3
こんにちは!
札幌のカウンセリングルーム銀のすず
心理カウンセラーの土井です。
セラピストたちが現場で体験する治療の過程も、
それぞれのケースに無意識の展開があり、その
壮大な物語を前に毎回圧倒されます。
無意識の表現は実にさまざまであり、クライエ
ントが見た夢の内容に表れたり、治療の場面で
語っている患者の言動に表れたり、時には親の
話や、そのまた親の話を聴いていると、世代間
に伝達される大きな無意識の流れが語られる場
合もあります。
また、クライエントの無意識が治療者側に移り、
対面している治療者のなかに、ある感情や経験
となって伝わってくることさえあります。
こちらも極端な話になりますが、たとえば
「職場でうまくいかない女性」がいたとします。
彼女はどうしても職場の人と折り合いがつかず、
いままで何度も職場を変えたが、どうしても同
じような展開になってしまい、ひどく落ち込ん
でいます。
聞けば相手は決まって年配の女性であり、最初
はうまくやれるのに慣れてくると相手に対して
いらいらしだし、しまいには怒りを爆発させて
しまうという。
この女性の治療が始まり、話を聴いていくと彼女が
母親について思い出話をしている際になぜか治療者
のほうがいらいらした気持ちになる。
治療の場面ではこのように患者から「感情が投げ込
まれる」ことが往々にして起こるのです。
この現象は、抱えきれない感情が患者自身の無意識
にあり、それが何らかの形で治療者に投げ込まれて
いるという事です。
治療者はその感情を見逃す事な
く、具に観察し、治療を進めていきます。
具体的には、そのような感情を投げ込んできたク
ライエントに対して、「いま私はあなたの話を聞
いていて、あなたが何か怒っているように感じま
した。どうしてでしょう」という具合に受け取っ
たものを一旦抱え、再びクライエントへと返しま
す。
クライエントはそこから「怒り」というキーワー
ドについて思いをめぐらせます。
ふとクライエントは「そういえば私が幼い頃、母
は私を叱ってばかりでした。
父が出て行き、家計が苦しかったので母も疲れが
溜まっていらいらしていたんだと思います」と過
去の記憶を思い出し、「怒り」というキーワード
と「母親」がリンクし始めます。
その後さらに回を重ね、やがてクライエントは
「私は母からそんな扱いを受けてきたことに対
して、ずっと怒っていたんですね」と自身の押
し殺してきた感情に気がついていきます。
そして母親に直接向けられなかった怒りの感情
を、母親と同じような年代の職場の年配女性に
対して向けていたのかもしれない、という具合
にいまの問題との関連に近づいていくのです。
もちろん実際の治療はさらに複雑な過程を辿る
ことがほとんどであるものの、「無意識の声を
きく」という意味においてはこのような現象が
挙げられます。
そしてこの現象が可能であるためには、クライエ
ントと治療者、双方の無意識の働きが不可欠であ
ることが分かります。
治療者の側には、コントロールが可能な意識の
範囲で起きていることと、そうではない無意識
の働きの区別をつけることが求められます。
クライエントの側にも、無意識という層が存在
するということにまず目を向けることが重要に
なってくるのです。
今日の心理学は科学であるかぎり、あくまでも
この無意識の働きを「理論」として説き、この
ような治療場面での現象に対して、かつてのシ
ャーマンのようにそれを「神のお告げ」だとか、
「自然界に宿る神々の声である」などとはしま
せん。
しかし、「人智の及ばない領域のちからに頼る」、
という点においては、宗教性に限りなく近い世
界であるように感じます。
現に、心理学を志す者の間では、この無意識を
ベースに据えて治療に臨む人たちと、無意識と
いう領域を初めから仮定しない学派とで根強い
理論的対立が存在するぐらいなのです。
無意識を仮定する側の意見として論を続けるな
ら、もうひとつ、治療においてクライエントが
改善に向かうために必要な要素があります。
それは無意識から発せられることと、いま抱え
ている自分の問題が「つながっている」という
感覚です。それは、この無意識から発せられます。
ものがひとそれぞれ違うもので、そのつなが
りが固有の意味づけになるためだといえます。
誰の意見でもなく、自分の歩んできた人生や
自身のこころの奥底から出てきた答えである
ため、起きてきたことに自分なりの意味をも
たせることができます。
それによって自身に降りかかってきた運命に
対して折り合いをつけることが可能となって
いくのです。
自分自身が考えをめぐらせ、何かがつながり、
自分だけの因果関係が成立する。
このことは、本人が納得して、痛みを抱えて
今後の人生を歩んでいくための大切な作業
となるのです。