心理師とは何をするひとですか その一
【心理師とは何をするひとですか】
よく「心理師って何をするひとですか」
あるいは「こころが読めるんですか」という
ような質問をうけます。
それに対して私は、「お話を聴く人です」と
答えるようにしています。
もちろん、こころは読めない。
この答えで多くの方は納得されるが、
「それで、心理カウンセラーは具体的に何を
するひとなの」とつっこまれると正直答えに
詰まる。「悩みを解決するひとです」とはい
えないし、「悩みを聴くだけです」というと
それだけではないような気もするからです。
例えば、「臨床心理」という用語があるが、
その「臨床」には「床」に「臨む」、
つまり、病んで床に臥せるひとの治療に臨む、
という意味があります。
心理師はそのなかでも、からだの病気ではなく、
こころの病の援助を担当する者といえます。
とはいっても医療や看護などの分野とは違って、
原因や経過は目には見えないし、
数値などでも表せないので世間では
「実際何をやっているのか分からない」
といわれることが多い仕事なのです。
そもそもこころを扱う「心理師」のルーツはと
いうと、古代シャーマンにまで遡ることができ
るのではないでしょうか。
つまり巫女や祈祷師のような神職にあたる者が
その前身であったといえます。
周知のように、古来、病や災いは神の怒りとし
て捉えられ、人々は天に祈りを捧げて治まりを
願った。
シャーマンは自然の声を聴き、
困っている人々に神の啓示を伝える役割を担っ
ていたのです。
しかしながら、文明の進んだ現代では病を治す
のは医療現場の仕事であり、
災いに関しても科学者たちが解明したり、
回避したり出来るようになった。
これは、その先にある「死」もひとの意思で
遠ざけることができるようになったというこ
とであり、もはや人々はシャーマンから自然
や神の声を聞く必要がなくなってしまったと
いうことです。
【心理=こころの理(ことわり)】
ひとが生きていくうえで行く手を阻む多くの
問題が、ひとの手によって解決するようにな
ったわけで、それらの問題によって揺るがさ
れる「こころの問題」に関しては反対に解決
しにくくなってしまったのかもしれません。
不慮の事故で大切な息子を失ってしまった
母親が、死亡確認を行った医師に対して「
なぜ私の息子は死んだのでしょう」と問い
ます。
担当医師がこの問いに正確に答えられると
すれば、「あなたの息子さんは車体と衝突
した際、側頭部を強打し頭蓋骨陥没が生じ、
脳幹を損傷したため心拍が停止しました」
となどという回答になるでしょう。
しかし、突然息子を亡くした母親は、
このような医学的な説明を聞いて
「そうですか、よく分かりました」とはな
らないのです。
臨床における事象を説明するとき、
私たちがよく使う表現でありますが、
彼女の「なぜ」は“How”ではなく、
“Why”なのです。
つまり母親は、彼が「どのようにして」
死亡したのか、ではなく「なぜ」大切な
息子がいのちを落とさなくてはならなか
ったのか、を知りたがっているという意
味で、因果関係を知り、納得できなけれ
ば、ひどく掻き乱された母親のこころは
永遠に治まることはないでしょう。
古代のシャーマンに尋ねれば、
神の意思であることが伝えられたであろ
うし、当時の人なら納得したでしょう。
しかし今日までの目まぐるしい発展を遂
げたはずの現代医学のいかなる知識を以
ってしても、ひとはこの「なぜ」に答え
ることができないのです。
この母親はきっと
「息子を轢いた運転手に過失があったのか」、
「助けを呼んだひとが遅かったのか」、
「家を出る前に自分が叱りつけたせいなのか」
というように、目に見える形での因果関係を
模索し始めるでしょう。
抱えきれなくなったこころの痛みが向かうと
ころを探し始めるのです。
そしてこの痛みそのものや、
痛みの抱え方、矛先の向け方が、ひとのこころ
を闇(病み)へと導いてしまうのです。
この「なぜ」という問いへの答えを人類は求め
続けているといわれています。
ルーマニアの宗教学者エリアーデは、人間を
「homo-sapiens(ホモ・サピエンス)=賢い
人間」ならぬ、
「homo-religiosus(ホモ・レリギオースス)
=宗教的人間」と表現している。つまり、
ひとは本来的に神世界に目を向ける動物である、
という概念です。
「なぜ」このような事態に見舞われるのか、
「なぜ」いまなのか、「なぜ」自分なのか、
「なぜ」いのちが奪われるのか、
「なぜ」生まれ、
「なぜ」生きるのか。
不幸な現実に見舞われたとき、
こんな問いが生じてくるのも、
私たち人間が目には見えない運命やそれを司
る宇宙のことわりをどこかで信じているから
なのかもしれません。
だからこそ現代社会においては「心理師」など
に名前を変えた、こころの世界に精通する者へ
のニーズが高まってきているように感じられます。
つまり文明の進んだ現代社会においても、
人類は変わらず古代から受け継がれる潜在的な
意識の奥底で、私たちの人生に意味づけをして
くれる人を欲しているのではないでしょうか。