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『鬼滅の刃』をよむ

鬼滅の刃を臨床心理の観点で読む

鬼滅の刃

興行収入が記録的な数字に届いた人気漫画、

『鬼滅の刃』。

幅広い年齢層に人気の理由は一体なんなの
でしょうか。

今回は臨床心理学的視座からこの漫画の内
容をみてみたいと思います。

原作は漫画で、大まかなストーリーは次の通り。

父が病死し、貧しいながらも母と兄弟とごく
普通に暮らしていた

主人公の竈門炭治郎少年であるが、
ある日突然一家を鬼に惨殺されてしまう。
かろうじて生き延びた妹の禰豆子も、
鬼の血を体内に入れられ、鬼にされてしまう。

禰豆子を人間に戻す方法を探しながら、
鬼を退治する「鬼殺隊」に入隊し、
仲間とともに鬼と戦う姿を描いたものでです。

子どもから大人まで、老若男女問わず幅広い
年齢層に爆発的な人気が出た本作であるが、
ただ単に鬼と戦う「鬼殺隊」の技や服装が
かっこいいというだけでなく、鬼を退治す
る側の人間の背景や、鬼になった者の悲し
い過去がシリアスに描かれていることから、
大人もまた夢中になる要素が含まれている
と考えられます。

現在世界中で新型コロナウイルスが流行し、
私たち人類の生活様式は様変わりしてしま
いました。

このことから、街中ではコロナ「禍(か)」
と騒がれているが、
昔から日本では禍(わざわい)が起こると
魔よけやお祓いをしたり、
凶悪な事件に対して「鬼の所業(しょぎょう)」
などと言ったりする。

この「鬼」は人間が受け入れがたい現実を
象徴するものとして、
作り出された存在に他なりません。

このアニメの中でも、鬼は人を殺しその肉を喰
らうことから、恐ろしい存在として忌(い)み嫌
われています。

実際の描写も血生臭く、子どもが怖がったり、
子どもに見せるのをためらう親もいたりする
ほどです。

では実際のところ、
この「鬼」の正体は一体なんなのか。
アニメで登場する鬼はみな、
もとは普通の人間だった。

中でも強い力をもつ鬼は、
それだけの数の人間を
喰らっているという設定。
また強くなりたい鬼は、
人の肉を喰らうためなら
なんでもするという特徴がある。

そもそもなぜ、
普通の人間がなぜ鬼になってしまったのか。

それぞれの鬼に着目すると、世間で能力を
認められずに、さげすまれた者や、
自分より強い相手に嫉妬し、
なんとしても強くなりたいと願う者、
愛する人を殺害され、その復讐に燃える者、
はたまた家族に恵まれず、
理想の家族を作り上げようとする者など、
実にさまざまな暗く悲しい過去を背負って
いるのです。

その自分勝手とも言える強い怨念が先行し、
我を失った挙句、
悪魔に身を売るごとく鬼になり、
永遠の若さと命、
人間離れした圧倒的な強さを手に入れる。

怨念の塊である鬼を退治するためには、
特殊な刀で、鍛錬を積んだ人間が鬼の
急所である首をはねるか、
太陽の光で焼き殺すしかない。

この鬼狩りの為に修行を積むのが、
主人公、炭治郎とその仲間たちであるが、
一方こちらの背景にはみな同じように鬼に
よって大切な人を奪われたり、
人生をめちゃくちゃにされたりした
経験のあるものが多い。

鬼になる者と鬼を狩る側になる者には、
それぞれ同じくらい想像を絶する辛い
体験があるのにも関わらず、
一方は鬼に魂を売り、
自分の欲を満たすために人を殺めても
なんとも思わないような残酷な存在になり、
もう一方は「もう誰にも同じ思いはさせたくない」
という思いを貫き、
命を懸けて鬼狩りという危険な道を選ぶ。

一見、この違いは大きなものであるよう
にみえるが、もとは両者ともごく普通の
暮らしをしていた同じ人間。

積み重なった一つひとつの出来事に対する捉え方が
違ったために、歯車が狂っていき、
最終的に全く正反対な存在にたどり着く。

どこからどう見ても、鬼は悪であり、鬼狩りは儚く、
かっこいい存在である。

しかし、大げさかもしれないが、人間だれしもが
鬼になる要素はもっているのかもしれない。

今日ニュースで目にする凶悪な事件も、
ただその現象のみ見れば「悪」。

しかし、罪を犯してしまった人にも、
そこに行きつくまでの過去があり、
恵まれなかった環境がある。

まったく同じ立場に追いやられたとき、
「自分は絶対そうはならない」という
自信があるか。
そう問われれば、私たちは誰しも脆弱で、
愚かな存在なのかもしれません。

主人公である炭治郎はどの鬼狩りも認める
才能をもっており、
その能力の背景にあるのが
誰よりも温かく優しいこころです。

常に相手をみとめ、仲間を奮い立たせ、
敵の首をはねた後でも、
醜い鬼に優しい言葉をかけ
長年の呪縛に囚われていた鬼のこころですらも、
救い上げ成仏へ導くほど。

この炭治郎のように、まっすぐでどんな状況でも
決して変わらない
強い信念を持ち続けることができたなら、
歯車に狂いは生じないでしょう。

それが理想であるものの、
しかし人間は誘惑に弱く、
楽なほうや自分の損得を
優先してしまうのが常であります。

カウンセリングの語源にも「完徳の勧め」という
意味があります。
元はキリスト教の懺悔にまつわる、戒めですが、
「神のごとく完璧であれ」というのは人類にとって
この上ない無理難題なのです。

その中で、凶悪な事件や人災に巻き込まれたり、
自身が加害者になったりするような悲しい結末
を避けようと思えば、つまり「鬼」にならない
よう努めるには、日頃の小さな心の向きを修正
していく力が大切なのだと考えます。

そして目の前の人間関係のほつれに目をやった時、
「ああ、もし自分が同じ人生を歩んでいたなら、
この人の言動も無理はないのかもしれない」
という具合に、「共感」し、
人としての脆さを赦していくことが、
コロナ禍でさらに世知辛くなった世を生き抜く、
一つのポイントだといえます。